万緑に産声は聞こえずとも(2/2)
「胎便吸引症候群」
予定日を超過し、胎児にストレスがかかってぐったりしていたようだ。
NSTでも心拍はずっと規則正しい音を聞かせてくれていたので、お腹を開けるまで誰もその様子に気づかなかった。
「どうせ大出血したら大きな病院に運ばれるから…ま、そんなことは起きないだろう」
と高を括り選んだ大学病院だったが、大正解だったみたい。
10分ほどで麻酔科や小児科の先生達が揃い、NICUも完備され有り難すぎる環境だった。
(NICUが無い病院だと、赤ん坊だけ救急車に乗せて転院する)
手術後は38℃の熱が出て、1日寝たきり、その後は腹の傷が痛くて背中を丸めてゾンビのようにしか歩けなかった。
大部屋からすぐそこのNICUへも車椅子で通った。
陣痛も帝王切開後の傷の痛みも味わいさんざんだ!
「陣痛を止める痛み止めが欲しい」とお願いした助産師さんが
「もう痛み止めも使いたい放題だから!点滴もあるよ~!お母さんの身体が大切。薬に頼ろうね」と言ってくれたのが嬉しかった。
つわりで1週間入院したこと。
正期産に入り初夏の地元を母と散歩したこと。
陣痛が来ても、ひとりで腰をさするしかなかった病室での夜のこと。
寝不足で私が限界のとき、父がベビーベッドの隣に布団を敷いて夜間のミルクをあげてくれたこと。
両親が孫の世話をする様子をみると、私もこんな風にされていたのかなといろいろ込み上げるものがあったな。
いつか色んな気持ちを忘れてしまいそうだから文章にしたためました。
読んでくれた方ありがとう。
「お包みに 小さなしゃくりと 青梅雨と」
すくすくと育て ぴかぴかほっぺの娘ちゃん
万緑に産声は聞こえずとも(1/2)
まだ7月を生きている気持ちだった。
ひんやりした風が部屋の中を吹き渡り、花火も祭りもない夏は今年も静かに過ぎ去ってしまった。
日記を放置した間にとんでもないウイルスが世界を震撼させている。
街中見渡しても、一年中みんなマスクがかかせない異常な光景。
そんなコロナ禍に娘は誕生した。とんでもない難産であった。
予定日を超え大学病院へ入院。
バルーンを入れ子宮口を開く処置2日間。
陣痛促進剤の投与。
自分のホルモンで起こる陣痛ではないので痛みは強くなる、と助産師さんが教えてくれた。
1分おきに陣痛がくるが娘の頭はお産の向きにならず子宮口も開かず、破水から時間だけが経過する。
ベッドでのたうち回り、ナースコールを何度も押した。
歳下の助産師さんに「ひとりにしないでください」と泣きすがった。
睡眠薬をください、陣痛をおさえる痛み止めをください、お腹を切って早く出してあげてください、、
こんなことをお願いしていたら、夜中に担当医がやっと来てくれた。
「翌朝まで待つつもりでしたが、帝王切開に切り替えましょう」
そこから手際よく手術の準備が行われ、夜中に両親が駆けつけて手術室前まで見送ってくれた。
MRIを撮るときも陣痛で暴れまわり、麻酔が効くまで苦しみは続く。
助産師さんがお腹にエコーを当て心拍を確認しながら、ずっと私の手を握ってくれたのが心強かった。
あれよあれよと娘は取り出された。
…あれ?産声が聞こえない。。
麻酔で嘔吐く私の元に娘を連れてきてくれたが、すぐさまNICUへ運ばれた。
続く
お茶とLOVE YOURSELF
7/31を以て大好きな会社を退職した。
びっくりするほど優しい、というより心のあたたかな人ばかりの集まる癒しの場所。
まず私は履歴書を持たずに面接に行った。
もういいや、と会社の近くにある釣り堀で魚釣りをしたことを話した。
それが功を奏して採用してもらえた。
(後日談、過去最高の応募者が来たが釣り堀の話が印象に残りすぎて採用したそうだ)
ある日、出荷作業を忘れてしまい、当たり前だが得意先に激昂されたことがある。
電話越しに伝わる荒い息。怒りを真っ直ぐにぶつけられ、疲れる程にただただ謝った。
クレームは営業さんにすぐに相談!と、事の流れを話そうとしたら、何故が涙が止まらずに代わりに先輩が全てを話してくれた。
食堂で項垂れていたら
営業部長に「大丈夫だよ。個人の責任ではなく会社の責任だから。ひとりで抱え込まなくていい。落ち着いたら戻っておいで」
営業さんは「僕が配達してきますね」と嫌な顔をひとつもせず京都まで商品を持って行ってくれた。
システムが頻繁に壊れ22時まで残業した時期。
お昼ご飯抜きで意識朦朧と作業をしてると
製造部長に「大丈夫か?」と聞かれて「無理です」と正直に答えた。
見かねた部長は私と後輩をご飯に誘ってくれて悩みがあれば話してくれとお好み焼き屋に行った(私が歯列矯正してるから固いものは食べれないので)(最終的に部長の思春期の娘にどう接したらよいのかの悩み相談になった)
出荷場の人と意見のぶつかり合いがあって
私は人目をはばからずにブチ切れた日。
それを見ていた品管の人が「ストレス溜まってるな~飲みに行きましょう」と誘ってくれた。
冬に胃腸炎や咳が止まらずに1週間休んで数日出勤しても体調が優れず早退する日々があった。
「仕事のことは気にせずにゆっくり休んで!身体が大事だよ」と先輩。
「ぜったいに仕事を優先しないで。休んだからといって気負うことはないよ。女の子にはこれから大事な仕事があるからね」と元看護師の総務さん。
社長はとにかく可愛い。マスコットキャラクターみたいな。
「これから寂しくなるけど、こうやってあなたと出会えたことが良かった」と泣かせにかかってくる。
アットホームと聞くとブラックな印象をもつかもしれない。
ここはとても良い意味でアットホームだった。
会社にいる方が居心地のよい日もあった。
(これは私の父親も同じことを言ってたな)
事務なのにお給料が他とは比べられないほど高かったのもサイコーだった。
人生のうちの2年という短い時間をこの人たちと過ごせて本当に良かった。出会えて良かった。感謝しかない。
こんなに良い職場に就く強運があるのだから
引越し先でも良い縁を導いてくれるだろう。
こどものころ
おじいちゃんおばあちゃんお母さんお父さん私で行った国。
🇮🇹🇪🇸🇩🇪🇫🇷🇨🇭
ベルサイユ宮殿の埃っぽさ(あの壺がトイレ?!とか)、ルーブル美術館で人混みから遠目に見たモナリザ、ノイシュヴァンシュタイン城を登ってへとへとになって馬車に乗って帰りたいと駄々をこねたこと、落雷の鳴り響く凱旋門、プラド美術館で宗教画がトラウマになったり、セーヌ川を遊覧したり、カフェで「アイスココアプリーズ!」がなかなか通じなかったり、呑んでもないのにビアホールで酔ったこと、スイスのホテルが怖すぎたこと。
途切れ途切れの記憶ではあるけれど、
こんな経験を感性が豊かな幼い頃にさせてもらったのは有難い話かもしれない。
大人になったらプラド美術館で泣くことないでしょ。
憂鬱時計
初めて彼らの歌を聴いたのは恐らく高校生の頃だった。
デビュー曲の「ヌナ ノム イェッポ(お姉さんはとても綺麗だ)」
ありふれたラブソング
付き合っている彼女から別れを切り出されるのを予期した年下の男の子の歌だった。
一度聴いただけで心が鷲づかまれた。
なぜなら、一人、芯の通った力強い声量でお洒落な歌声を持った人が一際目立っていたから。
それがジョンヒョンの歌声。
それからも新曲が出るたびに彼の声に恋をした。アジアで一番歌が上手いといっても過言じゃない。ねえそうでしょ?(これも彼の口癖だった)
LIVE中にすぐに泣いてしまうジョンヒョン
わんことお母さんとお姉ちゃんが大好きなジョンヒョン
「僕はテミンの第2の母!」と豪語するテミン狂なジョンヒョン
遺書を読んでもう救いようがないなと思った。
でもひとつ引っかかることがあった。
精神科医との相性が悪かったのじゃないのかなって。
私は主治医に聞いたことがある
「電車に飛び込む衝動ってどんな時にくるの?私もふらっと線路に落ちる日がくる?」
「人によるんだよ。僕から言わせるとあなたは飛び込まないよ」
ずっと私を診てきてくれた先生の言葉に安堵した。信頼関係が出来ていたからこそ、なんの根拠のない言葉を信じることができた。
不眠症に悩む彼に深夜の生放送のラジオパーソナリティを務めさせたのは黒い犬(うつ病)を住み着かせる絶好の機会になってしまった気がするよ。
お疲れさまと言ってあげたい。よく頑張ってるねと気が済むまで言ってあげるから戻ってきてほしい。本当に今も大好きなんだよ。
ジョンヒョンは今どこにいるの?どこに行くの?きみは本当に幸せになれた?
もう誰も、わからないね
歯は一生もの
歯列矯正はじめました。
社会人になって毎月3万円の少額の積立をしていていつの間にか裏側矯正できる金額を越えていることにふと気が付き
専門歯科にかけこんだある冬のおわりの日。
矯正歯科を選ぶに確認すべき点は日本矯正歯科学会の認定医であること。
なんと家の最寄り駅直結のその歯科には認定医よりもさらにハイレベルな専門医の先生がいらっしゃった(全国でも約260人しかいない)
おじいさん先生で朗らかで優しくてとてもかわいらしい方で初歩的なことから何でも丁寧に質問に答えてくれた。
他の歯科だと診察料を行く度に支払うけれども、ここは表記された金額以外は一切払わないシステム。
無料でホワイトニングもしてくれて音波電動歯ブラシも頂いた✨
もし関西にお住まいの方で矯正を考えている方がいらっしゃればぜひご紹介したい素敵な医院です。
親や友達にもしなくてもいいのにねと言われたけどこれは20代で済ませておくべきこと、そして女性の場合妊娠したら恐らく出来ないので今がラストチャンスなのかな、と。
ご飯の食べにくさや歯磨きの億劫さ、滑舌の悪さなどストレスフルの状態ですが、これからのことを考えるとワクワクしかしない